思ったことは表現していきたい
今まで、人に想いを伝える時、想いを表現する時、どうしても回りくどい言い方になってしまったり、曖昧な表現をしてしまっていた。
今後は伝えたいことを真っ直ぐ言葉で伝えようと思う。
小説でも行間を重視したり、言い切らない表現を好む日本語では、相手の心情を推し量ることを美徳とする考え方があると思う。
それで何が伝わるのか。と最近感じる。
幼い頃から衝突を避け、年頃には衝突を招くような直接的な表現、伝え方を暗に示すことで優位性を感じていた。
加えて、周囲の顔色をうかがい育ってきた環境からか、言葉に出ない人の気持ちはよくわかった。
その結果、自分の気持ちをまっすぐ表現し伝えることに臆病になり、きっと相手も自分の想いを、わずかばかりのシグナルから汲み取ってくれるはずだと思うようになった。
解釈の仕方を受け手に委ねるのではなく、誰が聞いても1通りの解釈しか出来ない表現をしていきたいと思う。
自分の想いを自信を持って伝えたい。
好きなものには 好き
嫌いなものには 嫌い
美味しいものには 美味しい
まずいものには まずい
飲食店で、美味しかったです。の一言を伝えることから始めていきたい。
確定申告 源泉徴収 年末調整
いままで何にも知らなかった。
なんとなくこの四字熟語が大事なことだとは知ってたけど。
会社員になって4年、全部が自動で行われてることで世の中の大事なことを知らなくても生活できてしまっている。
すごく問題だ
税金は生きていくのに大事なことなのに、なぜ義務教育、高等教育で教えないんだろうか。
自分含め、周囲の会社員の理解度があまりにも低いと思う。
2.17
最近、在宅勤務が増えており今年に入ってからは2度しか出社していない。
古き良き日本の企業を踏襲するような会社にとって、在宅勤務というのは適しているのだろうかとよく考える。
社員の育成が不十分であり、こなす人材ではなく、一人でも考えられる人材を育てる必要がある
現場でのOJTでトップダウンという考え方に飼い慣らされた新入社員は考えること、整理すること、分析することをやめて、日々の業務に埋没する。そんな中で個々にミッションを渡され、在宅勤務に切り替わると全く機能しない。
在宅勤務の環境を整えて、業務を切り売りして個々に受け持たせるだけでなく、人材の教育カリキュラムから見直して、ニューノーマルな働き方ができる人材を増やしていく必要がある。
今日思ったこと
自己肯定感をいかに高めるかが、肝になると思う。
一度決めたことを継続してやる、やり遂げると言うことが一番で、三日坊主は一番自分の自信を喪失させる。
挫折もいい経験にはなるとは思うが、こと自分に自信を持つと言うことに関しては少ないに越したことは無い。
合計で1000回の行為をする場合、
10日に1度100回行うことを続け1000回達成するよりも、毎日欠かさず10回行うことを100日継続して続ける方が自己肯定感を高めるという点では効果があるのだろうと思う。
毎日欠かさず、継続して、という要素が自己肯定感を高めることでは重要なんだろうと思う。
そういう意味で、日々感じたことを整理してアウトプットしていくという日記は続けていきたい。
今日感じたこととしては、昼のワイドショーで親子間の喧嘩を大々的に取り扱っていて、
よくあることだと思うが、両者の言い分が真っ向から異なっており、どちらの意見の正確性についても担保する材料がない中で、ワイドショーで取り上げていることに違和感を感じた。
わざわざワイドショーでやることなのか、マスコミが取り上げるべきことなのかと疑問に思った。
税金が買収の原資に使われた買収事件等、もっとテレビを通じて全国民に伝えなきゃいけないことはたくさんあるはずで、ワイドショーは私見を交え視聴者に親近感を持たせて情報を知るきっかけを与える場所なのであるならば、政治が自分達の日常、生活と陸続きであることを実感させる、自分達の生活、政治のあり方を考えさせるきっかけを提供してほしいと感じた。
素直さが招く思考力の低下
自分の長所であり最大の短所は
素直なところだと思っている。
自分の目の前に起きたことに対して疑うことなく受け入れてしまう。
こと仕事ともなれば、上司が言うことに対してはカラスが何色であっても、見る前に白だと答えてしまう。
その上司の元で仕事をし続けるのであれば、関係性を築く上で大事だとは思う。
ただ、組織の問題を見抜き、分析し、改善に繋げるといった、いわば企画提案型の仕事をする上では、大きな欠点になってしまうと感じる。
所属している組織の在り方や、目下の業務の仕方に疑問を抱くことなく、ありのままを受け入れてしまう。
本来であれば、問題を的確に捉え改善に向け組織全体を、時には会社全体を動かしていくことを期待されているはずである。
揚げ足とまでは言わないが、日常に起きることに対して疑問を抱き、何故だろうと考えをめぐらすことは訓練になると思う。
今日から毎日日常で疑問に思ったことを一個でも書いていこうと思う。
キャンプ
週末、金土とキャンプに行ってきた。キャンプといっても、車中泊の簡素的なものであるが。
今、キャンプの人気が凄い。
YouTubeや、アウトドアブランドへの注目が集まっていることから認識はしていたが、実際にキャンプをしてみるとよくわかった。
有名な野営地であるその場所は、金曜の夜でも利用者の数が多いなと感じさせるほどで、土曜の朝ともなると人が倍増していた。
キャンプ場が営業を自粛している等の一時的な理由はあるかもしれないがそれにしても人が多かった。
キャンプがここまで流行っている理由を考察する。
一つは、感染症対策による娯楽施設の休業等自粛。
この自粛ムードで娯楽、次の週末にやる事の選択の幅が狭くなった今、キャンプは人里離れた、屋外で行うという点が新型コロナウイルスへの配慮も感じさせつつ、楽しめるアクティビティとして人気を博しているのだろう。
二つは、漠然とした将来への不安感と日常の閉塞感からの逃避。
個人的な見解だが最近は著名人の自殺から新型コロナウイルスまで、暗いニュースが飛び交い、命を全うするといういわば動物としての本能まで折り曲げてしまうほど、将来に夢を見れない時代だと感じる。
一方で、仕事は勿論、プライベートでも老後の資産形成等、将来を見据えることの重要性を日常はこれでもかと考えさせる。
日常では目先のことのために、行動することが少ないと感じる。
その中でキャンプでは、寒いから火を付けよう、そのためには薪を用意しよう、薪をよく燃やすために割ろう、まずは焚き火の場所を確保しよう、目先にやる事が沢山ある。
本能に連動して行う作業に身を任せていると、心がフラットになるのを感じる。
余計な事を考える必要がないのだ。
ヒトは動物の中で、唯一未来を案じる事ができる動物であると言われている。
その点がヒトを人たらしめている大きな要素だと思う反面、ヒトが動物である事を忘れさせる一つの原因になっていると感じる。